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仙台地方裁判所 昭和46年(行ウ)9号 判決

原告 丹野平三

被告 仙台法務局供託官

訴訟代理人 清水信雄 ほか二名

主文

原告の昭和四六年一月二五日付供託金取戻請求に対し同年五月二九日被告のした却下処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

主文同旨の判決。

二、被告

1  原告の講求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二、請求原因

一、訴外中塚麟治郎は債権者訴外阿部栄登子に対する不動産売買残代金を弁済の為民法第四九四条により仙台法務局に対し、同局昭和三〇年一一月二九日受付同年(金)第一六五五号をもつて供託した。(以下右の供託および供託金をそれぞれ本件供託及び本件供託金と略称する。)

二、右供託原因は昭和四〇年一二月三日和解成立により消滅した。

三、供託者麟治郎は昭和四三年六月四日死亡し、同人の相続人である訴外中塚キヨ、同村山ひで、同中塚照夫、同千葉英子の四名が前示法務局に対する本件供託金の取戻講求権を共同相続した。

四、右共同相続人らは、同四四年四月二八日本件供託金取戻請求権を原告に譲渡し、該譲渡の通知は同年五月七日仙台法務局長関根達夫に到達した。

五、そこで、原告は昭和四六年一月二五日左記書類を添付のうえ、被告に対し、本件供託金の取戻しを請求したところ、被告は、同年五月二九日右供託金取戻請求書に債権譲渡人たる前記四名の印鑑証明書の添付がないとの理由で請求を却下した。

〈1〉  本件供託書正本

〈2〉  相続を証する書面として中塚麟治郎の除籍謄本村山ひで外三名の前記共同相続人らの戸籍謄本

〈3〉  債権譲渡を証する書面として債権譲渡証書

〈4〉  原告の印鑑証明書

六、しかし、被告の却下処分は次に述べるとおり違法である。

1  供託法及び供託規則に照らしても、供託者の死亡により共有に帰した取戻請求権の譲渡人たる各相続人の印鑑証明書の添付を求める規定はない。供託規則第二五条第三号は「請求者が供託者の権利の承継人であるときは、その事実を証する書面」の添付を要すべきものと定めているが、譲渡人の印鑑証明書は要求されていない。してみると、被告が右の印鑑証明書の添付を求めることは、法規上の明文なくして原告の権利を剥奪するか、若しくは、権利行使を制限するものであり、違法と言うべきである。

2  指名債権の譲渡は債権譲渡契約によつて効力を生じ譲渡人の債務者に対する確定日付のある通知または債務者の承諾により対抗要件を具備するものであり、譲渡人の市町村長に対して届け出た印鑑を使用することが債権譲渡の成立及び効力発生の要件とされるものではない。

されば、被告が譲渡人の印鑑証明書を要求することは、一つには、供託官が債権譲渡の実質的調査をなさんとするもので、形式的審査権の範囲を逸脱した違法なものであり、(我国の供託制度が不動産登記制度の如く、権利の変動があつたときは権利者の名義を譲渡人、譲受人の双方申請に基づいて原簿上変更し、その際譲渡人の印鑑証明書を提出させるという制度をとるか、または少なくとも供託の際に供託書押捺の印鑑と符合する印鑑証明書の添付を要するとなし、その後供託物払渡請求権の譲渡通知書の押捺印鑑が供託書押捺印鑑と相違するときは改めて印鑑証明書の提出がなければ供託物の払渡請求に応じないという制度をとらない限り、一片の印鑑証明書自体は第三者による虚偽の印鑑届に基づく印鑑証明書の交付申請という事がありうる以上、権利存在の証拠にはなりえないのである。)、二つには、民法上有効に債権譲渡を受けた権利者の権利行使を不可能とする結果を招くことともなるのである。(けだし、本件の如く、供託者の共同相続人が債権譲渡人であり、しかも、譲渡契約後二年の年月を経過している関係上、譲渡人らの現住所を調査した上、印鑑証明書を徴することは事実上不可能に近いばかりでなく、譲渡人のうち印鑑届出をしていない者がいた場合に、原告がその者に対して印鑑の届出を要求し、印鑑証明書の交付を求める権限がないのである。)

3  以上の如く、被告の処分は法規の根拠なくして原告に不能を強い、または実質上意味のないことを強いるものであつて違法な処分である。

七、よつて、原告は、前記供託金の取戻請求を却下した被告の処分の取消しを求めるため、本訴に及んだ次第である。

第三、被告の答弁及び主張

一、請求原因に対する答弁

1  第一項は認める。

2  第二項は不知。

3  第三項は認める。

4  第四項中、債権譲渡通知の到達は認めるが、その余の事実は不知。

5  第五項は認める。

6  第六項は争う。

二、被告の主張

別紙『被告の主張」のとおりである。

第四、証拠関係〈省略〉

理由

一、訴外中塚麟治郎が、昭和三〇年一一月二九日金三〇万円を仙台法務局に弁済供託したこと(同法務局昭和三〇年(金)第一、六五五号。本件供託。)及び同人が昭和四三年六月四日死亡し、訴外中塚キヨ、村山ひで、中塚照夫、千葉英子の四名が本件供託金取戻請求権を相続したこと、原告が昭和四六年一月二五日前示法務局に対し、原告主張の書類を添付して前記供託金の取戻しを請求したが、被告が、同年五月二九日右供託金取戻請求書に債権譲渡人たる前記四名の印鑑証明書が添付されていないとの理由で右請求を却下したことは、いずれも当事者間に争いがない。そして、当事者双方の主張と弁論の全趣旨に照らすと、前記債権譲渡人らの印鑑証明書の添付の要否の点を除き、原告提出の前示供託金取戻請求書が適式であることは当事者間に争いのないものと認められる。

二、本件供託金取戻請求書に債権譲渡人の印鑑証明書を添付する必要があるか否かについて判断する。

供託物取戻請求書が供託者の権利の承継人であるときは、その事実を証する書面を供託物払渡請求書に添付すべきことは供託規則第二五条第三号の定めるところである。そこで、譲渡人の印鑑証明書が右規則所定の権利承継の事実を証する書面に含まれるか否かが検討されなければならない。

1  先ず、法制度上印鑑証明書の添付を要求している場合をみるのに、例えば、供託規則第二六条第一項において、供託物の払渡を請求する者は同条三項の除外事由のない限り、同人の印鑑証明書又はそれに代わる書類の添付が要求され不動産登記法施行規則第四二条も、一定の除外事由のある場合を除いて登記申請にあたり登記義務者の印鑑証明書の添付を要求し、また、公証人法第二八条第二項は、公正証書作成にあたり公証人が嘱託人の氏名を知らずまたは面識がないときは嘱託人の印鑑証明書の添付を要求する等必ず明文が設けられているところ、供託法及び供託規則には、供託金取戻請求権を譲受けた者に譲渡人の印鑑証明書の添付を求める旨の規定がないことは原告主張のとおりである。

2  次に、供託官の審査権限について考察してみると、供託法及び供託規則の解釈上、供託官は当事者の各種申請行為について、当該申請が法定の要件を具備するか否かにつき審査すべく、しかも、その審査の範囲方法は、申請書に添付されている書類の適否と、その書類を通じてのみ当該法律関係が存在するかどうかを審査しうるに止まり(書面審査)、それより進んで右法律関係の実質を審査する権限を有しないものと解される。その意味において、供託官の審査権限は、いわゆる形式的審査権限に止まり、実質的審査権を有しないものと言わなければならない。

これを本件についてみるのに、供託官は、前示四名の譲渡人が真実原告に対して債権を譲渡したか否かを実質的に審査することは許されないが、原告が添付書類として提出した債権譲渡証書の成立を疑うに足りる合理的な事由があれば、右譲渡証書の真正を担保するに足りる書類の提出を求めることができるものと言うべきである。

3  更に、供託物取戻請求権の譲渡方式という点から検討すると、右請求権の譲渡は、民法上の指名債権譲渡の方式に従つて譲渡される権利であることは疑いがない。してみると、その譲渡は、譲渡人、譲受人間の債権譲渡契約によつて完全に効力を生じ、右契約を証する書面としては、通常の場合、債権譲渡契約証があれば足り、右譲渡契約はいわゆる要式行為ではないから、それを証する譲渡契約証に別段の要件は法規上要求されていず、もとより市町村長に届け出でた印鑑を用いて譲渡契約証を作成しなければならない旨の規定も存しない。

されば、被告主張のように、供託物の取戻請求に当り、一律に譲渡人の印鑑証明書の添付を要するものと解すれば、私法上適法な債権譲渡により当該債権を取得した者が、その後において譲渡人の印鑑証明書を所持していないとの一事をもつて権利行使を阻害される結果を招き、原告主張の如く、債権譲渡がなされてより数年を経過し、既に何等の交渉もない譲受人が譲渡人の現住地を調査して印鑑証明書を徴することは頗る困難なことであり、また、譲渡人が印鑑届出をしていない場合は、改めて同人に印鑑届出をなすことを要求した上、印鑑証明書の交付を受けなければならぬ事態が生じ、譲受人に果たしてこのようなことを要求する権利があるか否かが問題であるばかりでなく、実際上譲渡人がこれに応じてくれるかどうかも甚だ疑問とするところであり、更に、譲渡人が死亡しているような場合は印鑑証明書の交付を求めるに由ないため、遂に譲受人は適法に取得した供託物取戻請求権を行使することができない結果をもたらすこととなる。この点につき、被告は、供託実務上一般に供託者の権利の承継事実を証する書面の一部として譲渡人の印鑑証明書を添付させていると主張しているのであるが、民法の規定した債権譲渡の原則を修正するような特別の債権譲渡方式を要求する慣行は、これを許容することができないものである。ただ、前示の如く、債権譲渡証書の紙質、筆蹟、印影、記載形式及び内容自体に照らして、その証書の成立を疑うに足りる合理的な事実の存する場合は、かかる疑わしき譲渡証書を受領した譲受人の責任として、供託官は譲渡証書の信憑性を担保する為譲受人に対して譲渡人の印鑑証明書の添付を求めることができ、譲受人もこれを添付せずしては取戻請求権を行使することでがきないものと解するのが相当である。

4  そこで、原告が添付書類として提出した除籍騰本、戸籍謄本、債権譲渡証に照らすと、債権譲渡人四名はいずれも供託者亡麟治郎の妻及び子であるところ、右譲渡証の紙質、筆蹟、記載形式、記載内容に不信を抱かねばならぬ程の瑕疵がなく、その末尾に記載された譲渡人四名の各名下の印影も概ね正規の印判による印影と窺われ、いわゆる三文判により顕出された印影とは認めがたく、加うるに、原告が本件供託書正本を添付提出している事実を併せ考えれば、右の譲渡証の真実性を疑うに足りる合理的な事由ありとは云いがたい。従つて、供託官が従前の慣行に従い慢然として原告に対し、譲渡人らの印鑑証明書の添付を求めたのは失当であり、その添付のないことを理由として原告の供託金取戻請求を却下したことは違法と云わなければならない。

三、以上のような次第であるから、被告の本件却下処分の取消を求める原告の本訴請求は正当と云うべきである。

よつて原告の請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野進 佐藤貞二 正木勝彦)

(別紙)

被告の主張

一、供託官の審査権限の範囲

供託官の審査権限については、供託規則二八条に「供託官は、供託金の払渡の請求を理由があると認めるときは、」と定め、あるいは同規則三八条に「供託官は、…第二二条第一項(注供託物の還付、取戻)…の申立を理由がないと認めるときは」とそれぞれ抽象的に定めているのみで、審査権限の範囲に関する一般的な規定は存しない。しかし、供託官が供託物の還付又は取戻による払渡をなすにあたつては、その提出された書面によつて法定の形式上、実体上の一切の要件を審査して、その払渡をすべきか否かを決すべきものであり、特にその払渡を講求する者の権利の存否、すなわち実体上の要件については供託物払渡請求書の記載及びこれを証する書面その他の添付書類を通じてこれを審査し、これらの書類自体によつて払渡請求権の存否が認められず(又は払渡請求を妨げるべき事由の存在が認められるときは右払渡処分をなすべきでないのはいうまでもなく、このような意味において、供託官は形式的な審査権限を有するにとどまるものである。

二、本件却下処分の適法性

(一) 供託物の取戻をしようとする者は、供託規則二二条所定の供託物払渡請求書に同規則二五条にしたがい、供託書正本、供託の原因が消滅したことまたは供託が錯誤によつたことを事由として取戻をしようとするときは、その事実を証する書面、請求者が供託者の権利の承継人であるときは、その事実を証する書面を添付しなければならないものとされている。

しかして、本件供託金取戻請求は、訴外中塚麟治郎死亡後同人の相続人らがこれを承継したのち、原告が右取戻請求権を譲受けたというのであるから、原告は本件取戻請求にあたり「供託者の権利の承継事実を証する書面」の添付を要するところ、その書面の一部である譲渡人らの印鑑の証明書の添付がないため、被告は供託規則三八条に基づき原告の供託金取戻の申立を理由がないと認めこれを却下したものである。

(二) 供託金払渡請求権の譲受人から払渡請求がなされた場合において、供託実務上は一般に、当該取戻請求書に「供託者の権利の承継事実を証する書面」の一部として譲渡人の印鑑の証明書を添付させているが、これは譲受けがあつたことを証する書面の真正を担保させるため必要があるからである。すなわち、債権譲渡証書が真正に作成されたものであつたとしても、実際的には、譲渡証書に譲渡人の押印のないもの、あるいは三文判ないし類似の印鑑を押印したもの等があり、加えて供託官は譲渡人と面識すら有しないから、供託官は当該譲渡証書が譲渡人の真正に作成したものかどうか形式上判別が困難である。のみならず、供託官は譲渡人等関係者を審訊することも許されない。

かくては、債権譲渡を仮装した虚偽の供託取戻請求のなされるおそれがあり、形式的審査権限しか有しない供託官としては取戻請求者が実体上当該供託物の払渡を求めうべき権利を有することを判断することはできない。したがつて、供託金取戻請求権の承継が債権譲渡の方法によるときは、特に当該債権譲渡証書が私文書であることにかんがみ、形式上同譲渡証書が譲渡人の意思に基づいたものであるかどうかを明らかにしておく必要がある。そこで、市町村で行なう印鑑の証明制度が一人につき一個の印鑑に限り登録を認め、かつ、印鑑所持本人以外の者に対しては原則として印鑑の証明に応じない特異性に着目し、通常譲渡証書に押印の印鑑の証明書を提出した場合においては、当該譲渡証書が譲渡人の意思に基づいたものであると形式上判断しているものであり、いわゆる供託官の形式的審査権限を超え取戻請求の基礎となる実質的権利承諾の存否をも判断しようとしたものではない。ちなみに、相続を証する戸籍謄抄本は公文書であるからその信憑力が高い反面、譲渡証書のごとき私文書にあつてはその書面が真正に作成されたものであるかどうかについての信憑力が少ないことは経験則上明らかであらう(民訴三二三条・同三二六条・不動産登一記法施行規則四二条五項・供託規則二六条三項一号参照)。

したがつて、被告が原告の本件供託金取戻請求に対してなした却下決定には何らの違法はないから、原告の主張は失当であり、棄却されるべきである。

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